デザイナー TERUAKI TAKAHASHIさん インタビュー

Q:今回のショーの、1部が終わった感想をお願いします

A :今回は今年の集大成で、全てのシリーズをまとめて出したショーでした。

感想としては、直前までギリギリバタバタだったので、ホッとしました。

それと同時に、次の2部は、もっと良いショーをすることが出来たらいいなと考えていました。

Q:ファッションショーの男女モデルの最後から2人目に、豹柄のデザインがあったんですけど、それは何か思い入れがあったのですか?

A:母親が、『なにわ小町』という豹柄専門店をしていまして、そのモードでの領域でしたいという気持ちを大事にしていました。

そこから豹柄シリーズが生まれ、今年の集大成の1つとして出しました。

Q:豹柄のデザインをやるきっかけは何でしたか?

A:今年の9月1日から10月31日までコンラッド大阪さんと、豹柄でデザートビッフェのコラボレーションをさせてもらいました。

その時にコンラッド大阪さんの最高級ホテルに見合う高級感を出す必要がありまして、これはもう自分で作るしかないなと考えました。

Q :『コンラッド大阪』とは何ですか?

A :ヒルトン系列の最高級ブランドホテルなのですが、アートも取り入れています。

Q:豹柄は、今年、初めてだったという事でしょうか?

A:はい、僕のブランドとしては初めてでした。

今年の仕事は豹柄も多く、集大成となる今回のショーで出せて良かったです。

自分のブランドとして出せたという意味でも凄く良かったです。

Q :今後は豹柄が中心になってくるのですか?

A :仕事では、今後も自分のコンセプトの1つとしてしていけたら良いなと思ってます。

母親の店が豹柄であったり、僕が大阪で育っている等も関係しています。

Q:コンセプトの1つであって、中心とまではならないのでしょうか?

A:そうですね。TERUAKI TAKAHASHIのブランドコンセプトは、『伝統と革新』です。

常に「新しい題は無いか?」「もっと新しいことは出来ないか?」というのに挑戦していきたいです。

つまり、豹柄には縛られずに、していきたいと思っています。

Q:TERUAKI TAKAHASHIさんにとって、伝統とは何でしょう?

A:今まで紡がれ、積み重なってきたものの頂点だと思っています。

ジャケットもスカートも、残っている ひとつひとつの服は、色々悩んでたどり着いた形だと思います。

「どういう風に、たどり着いたのか?」と考えると、歴史と服の形は美しく感じます。

Q:コンセプトが『伝統と革新』だと、相反する意味にならないですか?

A:積み重られてきたものは、大事に思い、学んで、追求していきます。

しかし今の時代は、以前は無かった新しいものの形や素材が出てきていると思います。

そこから、今まで無かったものを作っていく事を目指しています。

Q:改めて、『伝統と革新』というコンセプトについて具体的に聞いて良いですか?

A:それは、クリエイティブな挑戦と学びという精神がコンセプトになると思います。

昔のものは大事にして、その中で新しいものを想像し、挑戦していきます。

知らないことも多いので、研究しながら発見をします。

Q :お母様が豹柄のお店をされているのですか?

A :はい、『なにわ小町』といいまして、大阪新世界の観光地のど真ん中にあります。

格好良く着れる豹柄の服をはじめに、面白いもの、お土産になるもの等、沢山のものが置いてあります。

Q:なぜ豹柄なのですか?

A:母が、豹柄が好きなんです。

あとは、お客様の大阪へのイメージも関係してると思います。

Q:どの様なイメージでしょう?

A:豹柄というイメージがあると思います。

面白いイメージも入っていると思いますが(笑)

Q:お店は、どの様な気持ちで運営されているのでしょうか?

A:来られたお客様が楽しんでもらえればという思いで、協力しあいながらしています。

Q :お店は大分前から営業しているのですか?

A : 10年前から営業しています。

Q :お母様もデザイナーとしてデザインしているのですか?

A :業者の人としています。

母親は、選んだりバイイングであったり、お店のオーガナイズがすごい上手なんです。

つまり、「これ、こうだったら良いな」というのは、ある程度、業者さんとの打ち合わせの中でデザインしています。

デザイナーというよりは、カリスマ店員です(笑)

Q:こだわりのある店員さんということですか?

A:そのような感じしますね(笑)

母親は、イチから作るデザイナーという感じではないです。

Q:高橋輝明さんは、どうしてデザイナーになられたのですか?

A:ファッションに触れる機会が多く、母親がチョイスしてくる服もすごく良かったです。

だから、すぐに服に興味を持ちました。

Q:ファッションに触れる機会が多かったのですか?

はい。小学校2年生から高校1年生まで、モデルやタレントをしていました。

母親もアパレル業界で働いており、僕自身が、そういう世界やファッションに触れる場所にいました。

Q:高校1年生の時から服に興味を持たれたのですか?

A:そうですね。高校に切り替わる時って、好奇心旺盛な時期じゃないですか。

その時、日本の世の中は、音楽も服も、すごい派手で奇抜なものが盛り上がっていた時代でした。

服1着1着にも魅力があるものが世の中に沢山あり、そこに僕はすごく魅了されたんですよね。

Q:何年代でしたか?

A:90年代です。僕の尊敬するブランドも、まさに、その時代のものです。

Q:1995年の阪神大震災あたりでしょうか?

A:それより3年くらい後ですね。

Q:長野冬季オリンピック(1998年8月)を過ぎたあたりですか?

A:年代の詳細は鮮明ではないですが、平成のルネッサンスの様な時代でした。

Q:その時代のものに感化されたのですか?

A:ファッションとか音楽とか、凄いいいものが世の中に生まれていました。

その時、ファッションショーをテレビで見る機会があり、余計に魅了されました。

絶対したいなと思っていました。

Q:ところで、ファッション専門学校は、どちらでしょうか?

A:昔は関西芸術大学という名前でしたが、今は宝塚芸術大学短期大学部です。

そこでファッション産業化というところでデザインもビジネスも学べる学科に通っていました。

Q:その大学で学ぶ前から、何かしていたことはありますか?

A:自分で出来る限りの技術で服をカスタムしたり、土日は大阪心斎橋のアメリカ村へアルバイトで働きに行ったり、自分の作った服をフリーマーケットで売りに行ったりしていました。高校時代から魅了されすぎて、大学に通うまでそれをしていました。

Q:学校では、どの様な事をしましたか?

A:デザインを学んで、色々なコンテストに出していました。

Q:デザイナーになったのは何年目くらいですか?

A:学校卒業後すぐでした。社交ダンスのドレスのオーダーメイドのデザインの会社に、デザイナーアシスタントとして入社しました。

Q:社交ダンスのドレスとは、どの様なものですか?

A:今でいうと、フィギアスケートの様なものです。ダンスができるドレスステージ衣装です。

必要条件として、激しい動きに耐えられる兼きらびやかさが不可欠という服のデザイナーアシスタントでした。

Q:その様な服が好きだったのですか?

A:はい、すごく好きなテイストでした。

今も反映されている部分があるかと思います。

Q:既に色々なドレスメーカーに発注されているのですか?

A:専門的にしていないです。

ドレッシーなものが、テイストとしては残っているかなという事です。

Q:フィギアスケート選手の服も作られていたのですか?

A:いいえ、その時は社交ダンスばっかりでした。

先生がデザインしたものを1部分デザインはさせてもらいました(笑)

Q:どの様な特徴がある服ですか?

A:かなり頑丈でのびますし、長持ちします。

Q:その時、何を学ばれましたか?

A:機能性が勉強になりましたね。ドレスと機能性は相反するものだと思います。

ドレスは、激しい動きに耐えないといけないのが、凄く勉強になりました。


Q :モノトーンが多いと思うのですが、何かこだわりがあるのですか?

A :『TERUAKI TAKAHASHI』というブランドは、自分の好きなものや形をフルに出した結果、黒になりました。

Q:デザイナーとして、どの様な道を歩んでこられましたか?

A:自分は、フリーでデザイナーをし始めた時は、ロゴであったりグラフィックであったり、結構、請け負ってデザインをしてきました。

Q:その時からモノトーンへのこだわりはありましたか?

A:請け負った場合は、自分の世界観よりも、クライアントさんの意向をどうデザインとして出せるかがポイントです。

Q:『TERUAKI TAKAHASHI』というブランドは、どの様にして誕生したのでしょうか?

A:自分の世界観や好きなものを、分け隔てなく、何にもこだわらずに出していける事がしたかったです。

クリコレ主催者の浜名先生に「CREATOUS MAGAZINE COLLECTIONで発表してみたら?」とおっしゃってもらい、誕生したブランドです。

Q :斬新な服のイメージがあるのですが、何故ですか?

A :僕は、ファッションショーのイメージや世界観にすごく刺激や感動をもらってきました。

つまり、ショーをするのであれば、見にくる人に感動を与えたいと思い、ボリュームがあったり、デザインが面白く、奇抜になりました。

Q:メンズ、レディース、どちらが最初にされたのですか?

A:メンズですね。

Q:メンズモデルを経験していたからですか?

A:それもありますが、自分の着たい服やいいと感じるものを、出していきたいという思いでした。

Q:女性の服もデザインしようと思ったのは、いつ頃からですか?

A:浜名先生に「メンズばかりだけどレディースのモデルさんもいるよ」と勧められました。

せっかくの機会ですので、「分かりました」と返事して、それに合わせてレディースも作りました。

Q:レディースの服は、どの様に作りましたか?

A:1回のショーの1番のコンセプトが最も出るような服を、最後に登場させる形として、レディースを作りました。

Q:高橋輝明さんから見て、メンズとレディースは、どう違いがありますか?

A:メンズは、きれいめであったりシンプルであったり、伝統的なジャケットが着れたり、しっかりしたものというのがベースにあります。

レディースは、形が自由にできるので、ダイナミックに魅せられます。

Q:レディースを作る際に考えている事はありますか?

A:いかにダイナミックに魅せることが、出来るのかというのを考えてデザインしています。

Q:ファッションカラーは除いて、好きな色はありますか?

A:カラーは絶対黒ですね。

Q:絶対黒ですか?

A:絶対黒ですね(笑)

ただ、どの色も魅力があるので、難しいです。

Q:難しいですか?

A:与えられたテーマで請け負って仕事する場合もありますので。

それぞれの良さがあるので、1つの色には絞れないです(笑)

Q:ブランドとして、好きな色の黒を反映させているのではないのでしょうか?

A:黒や豹柄は、好きをこえて大事にしています。

今発表しているブランドの展開としてにじみ出るものとすれば、黒と豹柄を大事にしています。

Q:黒の次に好きなものが豹柄でしょうか?

A:同列で1番ですね。色々考えると、甲乙つけがたいです。

Q:白色はいかがですか?

A:白色が2番目くらいですかね。

Q:時折、赤が入っていると思いますが、何か考えがあるのですか?

A:ブランドの出し方としては、エッジのきいたカラーがあります。

Q:エッジのきいたカラーが好きなのですか?

A:そうですね。インパクトがあります。

何かをするにつけて、衝撃的なものを感じてもらいたいです。

僕のブランドは、“超攻撃的ファッション”といわれていて、勢いや攻めの姿勢は出していきたいです。

そうすると、エッジのきいたカラーを選びます。

Q:今後、2020東京オリンピックが始まるので、世の中が変わってくると思いますが、今後の展望としては、いかがですか?

A:ブランドも、製品として展開していきたいです。それと同時に、ショーでは、見る人に感動を与える事にこだわっていきたいです。

『なにわ小町』も、服やファッションという職を通じて、社会的に意義のある仕事をしていきたいです。

2020東京オリンピック、2025大阪万博や、地域、国、社会に貢献できる様な、服の仕事をしていきたいです。

Q :来年の抱負を簡単にお願いします。

A :仕事をしてきた中で、色々な方に協力していただいてショーが出来ました。

やっぱり、そうやって応援してもらってる方々に恩返しをしたいと、非常に思っています。

率直に自分のブランドをワンステージ上げたいです。それが来年の目標です。

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